【1】酒東NEXT100 ネーミングの由来

   独断と偏見で決めた"酒東NEXT100”のネーミング

   
2011年2月の終わりくらいに
  「母校支援委員会」なるHPを「ササッ」と作ってみようとしたときに大きな問題を感じました。
「母校支援委員会」じゃだれも見向きもしない。

そもそも母校の100周年記念事業にむけ立ち上げが発端だったわけで
  「酒東100」なかたちで思い浮かんだわけです。
例えば早稲田なんかは125周年をむかえた時に「WASEDA 125」なるロゴで埋め尽くされるわけです。

  でも、それは誰でもかんがえつきそう。
だったら、次の100年という意味で「Next100」にしておけば早い物勝ちができるかな、

  と思ったのが始まりです

   

【2】酒東NEXT100 母校支援委員会のプロフィール

これでいいんかい?いいんです
これでいいんかい?いいんです
これでもいいんかい?いいんです
これでもいいんかい?いいんです

各メンバのプロフィールを紹介します

♫長谷部和良 委員長

   1.何年卒業ですか(言える範囲で結構です)

 1959年卒(34年回)

 

2.酒東時代でパッと思い出すイベントは何でしたか?

 中学の仲間とサカーボールを蹴り始め、高校もひたすらサカー。

試合で相手とボールの取り合いでジャンプ。頭から地面におちる。

当時は病院に行く事も無くす実休んで練習に励む。

 

3.社会人になってから携わってきたキャリア(仕事の内容)経歴についておしえてください。

 

何度か仕事を変える。30~40代日米合弁会社のマーケテングの会社で企画担当、

販売促進の仕事で全国に足を運ぶ。夜は各地のネオン街で、よき時代が懐かしい。

 

 4.今までの仕事でこれは!!というところをきかせてください。

 

仕事としてはイベントカタログ製作、急ぎの仕事も多く体も動く時代。

何事も終るまでおしまいではないが、いくら忙しくとも楽しく仕事をした時代あり。


   ♫ 伊藤正治郎 (35回卒)

   ・酒東時代は体操部に所属。インターハイに出場できたが全国の

      レベルの高さに気後れした思い出が有ります。

   ・日大工学部建築学科卒業後、建築設計事務所勤務を

      7年経験しました。

       大阪万博でパビリオンの設計に携わったのが懐かしく

        思い出されます。

    ・30歳で念願の事務所を仲間と立ち上げ、以来今年で

      40周年を迎えます。

        今振り返ると若さと、人との繋がりが続けられた源泉と

      思います。

        仕事は信頼と誠実さが繋げてくれると確信しております。

    ・仕事の付き合いで始まった邦楽が趣味となり三味線教室をささやかに続けております。 

♬本間国義
 1.何年卒業ですか(言える範囲で結構です)

     1960年卒(35回)


 2. 酒東時代でパッと思い出すイベントは何でしたか?

      酒東2年生後期、次期生徒会長の候補辞退演説をして大顰蹙をかった。

    「気概が足りない」高橋元良教頭のカミナリがいまも耳に残る。


 3.社会人になってから携わってきたキャリア(仕事の内容)経歴について おしえてください。

   「ひょんなことから」某都銀に入り、各部署、内外各地、
     各社を彷徨したが、「無駄な経験はない」を実感。

 

 4.今までの仕事でこれは!!というところをきかせてください。

    「ヒラメになるな」(上の顔色をうかがい、ひれ伏すな)
  「社会正義」を主張しない社員はいらない。

  ♬丸市豊也

①何年卒業ですか(言える範囲で結構です)

 45年卒 

② 社会人になってから携わってきたキャリア(仕事の内容)経歴について おしえてください。

 30年間社会福祉(主に知的障害)関係の仕事をし、現在、通所施設の園長補佐を担っております。

 来年退職し、社会保障と経済について学び、また、インドとの交流ついて関わってみたいと

 思っております。

 また、15年間、社会福祉士会活動に携わり、また、2期4年間会長職を担い、この3月に無事退任、

 相談役となりました。

 資格は、社会福祉士、介護福祉士、介護支援専門員、相談支援専門員、地域支援・生活介護・就労支援の

 サービス管理責任者です。宜しくお願いいたします。